その日は『もえるゴミ』の日で、202号室の男が出したゴミ袋に猫とおぼしき毛があった。アパートのペット禁止規約にもかかわらず。好意に解釈すれば人からの一時預かりかもしれないと、大家に急報せずにおいた。
毎朝わたしが茶を飲みながらながめるのは朝もやにかすむゴミ置き場で、まだ日が昇らないうちに住人たちがゴミ袋を積み上げていった。ぼんやりかすむ空気のせいで薄紙をとおしたような光景だった。
わたしはあまりゴミを出さない。紙やプラスティックはくり返して使えるし、残飯はプランターの肥料になる。出るものといえば床のほこりくらいだが、掃除機はゴミパックが出るからほうきを使う。大きいゴミは集めて花壇に戻した。土になる。
どうしても廃棄しないといけないのは、風呂場の排水口につまる髪の毛や床に抜け落ちた体毛だった。だからわたしの出すゴミ袋は半年に1回、床屋のゴミのようだった。
わたしはインスタントラーメンの空容器を202号室のゴミ袋から取り出した。どんぶり型のそれを黒色と赤色でつやを出し、朱印も押してより漆器らしく見えるよう工夫をこらす。 毎月彼は1、2冊いやらしい雑誌もゴミに出し、これまでケーキの容器も見つかっていないし、ほかの要素をも勘案すればひとり身で恋人の不在を疑うまでもない。 雑誌のたぐいはていねいに調べて、あれば汚れを落とし、仕上げにアイロンをあてがうと新刊雑誌に見ちがえる。
404号室の鍋島美亜[みあ]が置いていった生ゴミには、今日も海産物の残りが詰まっていた。 えびの殻や魚の骨は臭いもよく、養分も高い。適度に腐らせたあと乾燥させて小分けにし、高級有機肥料として高値で売れる。おたくの肥料はよく育つねえ、と評判は上々だった。暗示がきいているだけなのに。それにしても美亜は猫のごとくに魚を食べる。
聞くたびに猫の鳴き声を思い出させる名の美亜はしょっちゅうモノを捨てた。 ファッション雑誌はほとんど読み捨て、きれいなもの。 もらったばかりの引き出物も箱ごと投げた。 しゃれたアクセサリーもすぐに飽きるし、流行がすぎた衣服もちょっと古くなった下着もためらうことなく処分する。 とくに派手な下着は重宝した。適当な香りをつけて密封すればマニアがうまくだまされる。 そんなわたしが嫌になって亭主はずっとまえに姿を消した。
鍋島美亜はいつも遅刻ぎりぎりの出勤だった。ヒールをコンクリートに打ちつけ階段を駆け下り、わたしの部屋のまえを走り抜けていく。足が4本あるのかと思うほど甲高い音がせわしなかった。 野良猫のように深夜の2時まで遊びまわっているから無理もない。クリスマスを目のまえに、さかりがついたのでもあるまいに。
皮肉なのかなんなのか、彼女はこっそり本物の猫を飼っているようだった。ゴミ袋によく白い毛が見つかった。本来大家に報告すべきところを、有用なゴミを出してくれるからとこれまで大目にみてはいる。
ゴミは金なり。 すなわちフリーマーケットでの商品だ。アルミ缶はくず鉄屋が引き取ってくれる。『資源ごみの日』には発泡酒の缶が山となった。
スチール缶は切って曲げて色をつけて名刺入れ。わざと無印良品の製品を模してある。
ガラスびんも適当に切ってバーナーで加工すれば民芸品風の灰皿になる。本物のベトナム民芸品のとなりにまぎらわしく置いた。
丸められたティッシュはよく洗って、水でとかしてすいて再生紙、500枚ひとしめ410円の値をつける。
発泡スチロールもとろかして複雑な化学処理を加えるだけでハーフ・ガソリンのできあがり。工夫をこらせばパイアグラが合成できるし、場合によっては幻覚剤も。ときどき売人に流してボーナスをえる。
フリーマーケットに並ぶ店の中でも、だんとつの品ぞろえと集客力がわたしの自慢だ。いや、だった。
ラーメン漆器の細工が甘かったらしく、ある夜客が一匹どなり込んできた。商品のからくりがその場に知れわたり、ちょっとした暴動にまでなった。クリスマスまえの陽気な雰囲気が壊された。割られた色電球のガラスが飛び散った。電気が消え、マーケットの敷地内は夜空のように暗くなった。 親は子どもの手をひいてマーケットを後にした。
わたしの店はつぶされてしまった。商品台はたたき折られ、とめてくれるものがだれもいなかったら、わたしも骨を折られていた。 今では復職の時機をうかがいながらのゴミをほじくる毎日だ。
300号室の夫婦のゴミにここ1ヶ月あまりアレが出されていなかった。ほぼ毎日出てたのに。このアパートが子育てにはせますぎることを考えれば嫡子をもうける計画ではなく、つまりは何らかの事情で夫婦の営みが。さすれば夫は欲求不満なり。わたしがまだ若ければ色じかけでたっぷりかせげたのにと残念に思った。
他方、202号室の男に恋人ができたらしかった。ゴミ袋から回収したアレを、洗浄、除菌してからネギの根っこにかぶせてプランターに植えれば2倍に育つ。みそ汁に入れて人一倍食す。
それからまたしても猫の毛。 白髪みたいに白い。わりと長い。高級なチンチラ猫かラグドールあたりを思い出す。
202号室からはこれが2度目の発見で、人からの一時預かりなどではなく完全にペットなのだと確信した。鍋島は有価廃物を出すから見逃すにしても、この機にやるせない失職由来のたぎりを202号で静めることにした。
きっちり証拠を押さえてからにしようと、わたしは大家に駆けこむのを少し待った。冷静になったところで、もうかる計画がひらめいた。
夜になるのを待ってからわたしは202号室に忍んでいった。廊下にだれもいないのを確かめてドアのポストを少し開けた。あんのじょう、なにか動物の声がした。甘ったるい声がうねっていた。インスタントラーメンしか調理しないぐうたらな男によくもなついたものだ。 夢中になって聞いていると廊下に人のけはいがし、あわててその場を立ち去った。
だけれども毛と動物の声だけではまだもの足りない。猫が高級種なら十数万の金がかかっている。問われれば当然彼は必死に隠す、ひょっとしたら冷蔵庫の中とかに。たとえばえさの空き缶といった決定的な証拠が出るまで待つのがよかった。 しかるのち、大家への口止め料として毎月1万円を要求する。
ところが待ちのぞむ猫缶は、なかなかゴミに出てこなかった。それにしても鍋島といい202号といいこのアパートに集中的に猫を卸すペット業者でも? ひょっとしたら他の住人も? 人数分ゆすれば大した金になる。
店を建て直すためにもわたしは現金がほしかった。これ以上猫缶を待っていられなくなった。日を追って生活は厳しさを増し、こうなれば猫を拉致するまで。腕づくでも。
202号室は留守だった。順番をくり上げて、最初の標的が鍋島になった。 404号室の玄関口に現れたのは、青白くやせた彼女の旦那だった。
なにか用? 彼は口をきくのも難儀そうだった。 猫飼ってるね? なんのこと? わたしが訊いても彼はとぼけた。美亜も奥から返事をした。 ちょっとおばさん、頭おかしいんじゃないの?
ふたりは綿密に口裏を合わせていた。ゴミ袋をあさっていたら猫の毛が見つかった、と追求すれば相手も観念するだろうけれど、さすがにそれはまずかった。 ちょっとあがらせてもらうよ。 旦那の頼りなさは見た目どおりで、押しのけるのは簡単だった。
美亜がソファから立ち上がった。 ちょっとあんた、なんでその人入れてんのよ。 彼女は大して怖い声でもなかったのに、旦那はひるんだ。 だってこのおばさんが勝手に。 わたしはね、大家さんに頼まれているんだよ。猫飼っていないかどうか確かめて来いって。 大家の名を出しておどしたつもりが、効果はなかった。 大家が自分でくればいいじゃないの。 美亜はテレビの音量をしぼった。
室内は整頓されていた。豪勢な刺身の盛り合わせがテーブルに。高級志向の猫の餌かと思ったが、まさか。観葉植物は若い緑で、泳ぐ熱帯魚は青かった。キャスターつきの洋服かけに派手な服が何着も。毛皮のコートもさがっていた。ベージュは今冬のはやりだった。
熱帯魚はいいって大家さんから許可もらってるからね。美亜の笑みは勝ち誇っていた。
猫のトイレが見当たらない。爪をといだあともない。
念のため冷蔵庫を開けてもみたが1匹の猫もいなかった。だがチャンスが消えたわけではなかった。ベージュの毛も光の加減で白に見える。 202号に甘える動物の正体が読めた。
翌日、出勤まえの鍋島を捕まえた。遅刻ぎりぎりにもかかわらず、ていねいに化粧をしてあった。くっきりとしたアイラインで、エジプトの猫そっくりに見えた。わたしをふり切る鍋島に、用意していた言葉を投げた。
202号室の男と浮気してるの知っているんだよ。 彼女がふり向き、わたしは続けた。 お気に入りのコート着てあの男の部屋に行ったのが運のつきってやつさね。安物のコートだからすぐ毛が抜ける。こっちに1本あっちに1本。 旦那にだまっててやるから、口止め料払ってくれるね? 月1万円。あんたのかせぎなら払えるだろ。
鍋島が猫そっくりに微笑んだ。 残念でした、あのコート男物よ、おばさん。あれ旦那のコートなの。わたし着たこともないんだから。
202号室の毛はつまりコートをはおった鍋島の旦那が彼を訪ねただけだった。急には言葉が出なかった。希望が。再起の夢が。生活難が眼前に迫った。
※※※ その日は『もえるゴミ』の日で、夜中に出された鍋島の、40キロもの生ゴミをわたしは有機肥料に変えた。血にまみれていたせいで肥料にもややさびの色が残った。わたしはわずかに残ったつてを伝って憑かれたように売りさばき、どうにか瀕死の生活を建て直した。店を再開するめどもついた。
落胆のあまり、あの朝鍋島に訊く声のふるえるのを、わたしはとめられなかった。 あんたの旦那、何しに202号室に? あの人202号室なんか行ってないよ、浮気してるのはこのわたし。 それじゃあ、どうしてコートの毛が?
気づかぬうちに鍋島美亜が、紙一枚の差で目のまえにいた。目玉を全部おおうほどの美亜の黒い瞳の中に、愕然と顎を落としたわたしがあった。 あはは、何コートの毛って? それっておばさんの勘違い。いいのよ別に、浮気のことバラしてくれても。うちの旦那そろそろ捨てちゃおと思ってたとこだから。
彼女は猫のごとく身をひるがえし、朝もやの中に駆けていった。 彼女の尻に尻尾が揺れた。濃いもやで気のせいに違いないけど、白い色をしていたようにそのときは思えた。 高級猫の毛のように。
|