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おしゃぶり涅槃
(ねはん)

めったにあることではないが、たとえば煙草を吸っていると無性に女の乳首に吸いつきたくなる。くわえる、という行為のせいだろうが、きっかけは煙草にかぎらずまちまちで、職場で五度目の始末書の作成に取り組んでいる最中、なぜか「私」という一語に喚起されたこともあった。


欲望が激しい渇望に変わる頃、お気に入りのデリバリーヘルスに電話を入れる。ホテルでも自宅でも指定した場所に指名した女が派遣されてくる。こちらから出向くソープやおさわりパブは、苦手だ。店内の異様な雰囲気になじめない。緊張したまま乳首を吸っても何にもならない。


99年に風俗営業法が改正されるまえまではデリヘルは違法だった。だから自宅でおしゃぶりを堪能するためには、わざわざ女を口説いて部屋に誘わなければならず、おまけにこっちも気持ちよくさせろ、とわずらわしいことこのうえない。だから、法改正によっておおっぴらになった無店舗型性風俗特殊営業には感謝している。やってくる女たちはうるさいことも言わずにオレを満たしてくれるのだ。


名刺サイズのチラシには「好みの女性承ります」等々の文句が並ぶが、口で説明してみたところでらちが開かず、そもそも業者側にそんな気がない。中にはやってきた女に罵倒して追い返す下衆もいるらしい。


オレは「お客様は神様だ」と勘違いしているバカのように、激情にまかせて乱暴にすることもない。女たちにシャンパンを出してやり、自分の性癖を説明してから甘いムードの中、乳首に吸いつかせていただく。制限時間いっぱい、間断なく吸っていると乳首がはれてくるので、15分に1度休息をはさむ。女たちは乳頭にぶらさがっているオレを優しくみつめて、髪をなでてくれたりした。


男は巨乳を好むと一般に思われているようだがまったくの偏見で、たとえばオレの場合、胸のふくらみの有無に関わらず乳首さえ吸わせてくれたら文句はない。男でも構わない。
胸の大小いかんで人間の優劣が決まるわけではないのだ。もっとも男は乳首が微細なのであまり好まない。全然吸っている気がしない。


久しぶりの激しい欲求に襲われたのは、おやじの葬儀を終えた直後だった。喪服のままオレはアパートの屋上で煙草をふかしていた。普段屋上への階段は施錠されているが、両親の荷物を一時的に移動する必要があったので、特別に大家から鍵を借りてある。そうしなければ親戚一同が入りきれないほど、部屋はせまかった。


屋上の一角に青いビニールシートに包まれたソファとテレビ、テーブル、本棚が並んでいる。生前、兄が同居しようと持ちかけていたが、おやじはアパートに住むことに固執した。何か哲学的な理由を持ち出していたが覚えていない。


おやじが逝ってしまったので、兄夫婦がおふくろを引き取ることになっている。オレと違って兄もその奥さんも性格がやわらかいから、気を使うこともあるまい。いまだ独身でがんばっているオレは、ときどき顔を見せるくらいで十分な孝行といえるだろう。


子に一切かまわず放任主義だったおやじに、格別愛情を意識したことはなく孝行しようという気にもならなかったが、まさかおっ死ぬとは。
涙はただ煙草の煙がしみたせいだ。


忌引きは堂々と休みをもらえる正当な理由だったが、それも明日で終わる。休養になるどころかかえって疲れた。これに職務上のストレスが加わり、おやじの享年より若くしてオレはくたばる。兄貴と違って美人の嫁さんをもらうこともない。


煙草も湿気る梅雨空には、そろそろ降ってきそうな気配があった。夕刻の雨模様は葬式らしいと言えたが、どうせなら晴れてほしかった。煙草をもみ消して指ではじくと、意外にも回転せずにそのままの姿勢で弧を描き、少し滞空してから落ちていった。その瞬間だった。乳首。
いや。乳首と言わず乳輪をも飲み込み、やわらかい脂肪を口の奥まで。
女を呼ぶか。


いくらなんでも実父の葬式に非常識だ。欲望を忘れようと新たな煙草を引き出したが、逆効果だった。
フィルターが子持ちの女の勃起した乳首に変わった。しこって乳首が唾液にまみれた。吸っても濡れたフィルターは通気性を失い煙がほとんど来ない。


乳首が降ってきた。オレの前髪を伝う雨滴も乳首だ。勢いを増した雨を避けて部屋に戻ると、すべてが乳首だった。線香の火も、蛍光灯のスイッチも、兄貴の奥さんのふくらんだ先っぽにあるのも。


たたみは何千もの乳首の粒からなっていた。
空気中のほこりも微細な乳首で、呼吸をするたび肺に満ちていった。缶ビールのプルトップを開けると乳首の泡が音を立てた。とにもかくにも乳首を吸わないことには危険だ。常識を気に病んでいる場合ではない。


「抱かれる未亡人」というエロビデオの設定はあながち嘘じゃないかもしれないと、自分のアパートへ至るタクシーの中ぼんやり考えていた。


部屋にやってきたのは、なんとか5歳はさばを読もうとがんばっている30代後半らしき女だった。実年齢を見透かされるのを恐れて躁的なテンションでしゃべり始めたのを、しっとりとしたムードが好みだからと静かにさせてソファを勧めた。


いつもなら飲み物を出してやるのにその余裕もなかった。テーブルのシャンパンは冷蔵庫に収めておくべきだった。帰る前に1、2杯ふるえばいいだろう。なんならボトル1本やってもいい。


作法どおり念入りに口を磨いて舌のコンディションを整えてある。はやる気持ちをなだめつつ震える指でホックを外すと、乳房の圧力ではじけたブラがオレの鼻先をかすめた。女がおおげさな吐息をもらした。


女の乳房はいくつかの型に分類することができる。比較的日本人に多いのが皿を伏せたようなタイプと、乳房の上部にふくらみが少なく一見下がって見える三角型だという。さほど気にすることでもないように思うが、豊胸手術を受ける女も少なくない。乳房をふくむ全身のシルエットは男のみならず同性にも強烈にアピールできるのだ。


手術を受ける彼女たちが一応の理想としているのは半円か円錐形のシルエットだ。乳首を頂点とする胸の高さと底辺の長さがほとんど同じ、いわゆる「つん、と上を向いた」形で、ブラのカップサイズがC以上ならボリュームも確かだ。手ですくい上げた感じでは片方300グラム以上にはなった。


ソファでオレに乳を差し出した女のは、ヤギ型と呼ばれる突き出した形をしていた。円錐というよりは円筒に近く、高さと底辺の高低差がもっとも大きい。つまり長い。


茶道にならった乳道では、まず軽く口づけしてからそっと噛む。その際絶対に手で触れてはいけない。含むことができるのも乳輪までとされていた。


だが、オレは作法を破った。顎をいっぱいに開いて吸い込めるだけ吸い込むと、薄皮につつまれた脂肪が口中に満ち、喉の奥にまで迫った。このやわらかさ、温もり、質感、量感、他のどれとも変えられない、唯一のもの。


葬儀でたまった疲労が溶けていった。兄貴に対するねたみ、仕事のストレス、雑念も順次消滅していった。女のあえぐ声も霧の向こうへ退行し、オレは絶対的な静寂の域に達した。


その乳房は格別やわらかかった。仮に手の平に乗せればゆっくりと広がって、こぼれ落ちるはずだ。吸われるがままに形を変えて舌を流れ、食道にすべり込んだ。吐きだすつもりが逆に嚥下してしまった。咽頭が刺激され吐き気をもよおすのはともかく、息ができない。


喉全体が乳房にふさがれていた。息をしようとあえぐと拍子にまた少し、流れ落ちた。このままだと乳房を食ってしまいかねない。手で引き出そうとしても咽頭から出てはこず、手元の肉がどこまでものびるだけだ。


餅を連想させる可塑性だった。やわらかすぎて途中で切れ落ちそうな感すらある。早まって歯を立てたら一気に彼岸だ。目が飛び出してきた。


女がオレを見て何か叫んだ。彼岸を臨みながら心中急げとせかしたが、あんまり早く引きすぎると喉の奥でちぎれてしまう。


女は青ざめながらも、手なれた様子でゆっくりと着実に乳房をたぐり始めた。喉の奥で肉が引きずられるのがわかった。目の前に赤い霧が渦を巻いた。
どこか遠くでシャンパンのはじける音を聞いた。
霧の向こうから甘い香りが漂ってきた。

ああ
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